Yohji Yamamoto 山本耀司

 

—保守的で個性がなくなりつつある現代日本のファッションシーンですが、その原因は何だと思いますか?

「国や大人の責任ですね。まず、日本政府が繊維産業に力を入れていませんし、百貨店やセレクトショップも若いデザイナーを育てようとする積極性が薄い。ソウルに行って驚いたのが、繁華街のど真ん中にあるファッションビルの1階に15人くらいの韓国の若手デザイナーのブティックが並んでいて、国が援助していると聞きました。日本でも政治家がクール・ジャパンを世界に発信しようとしていますが、アニメやキャラクターの要素が強く、稚拙で幼稚な印象を受けますね。サブカルチャーをバカにしているわけではないですが『ちょっと軽すぎないか』って。僕は常々、若手デザイナーたちに対し『かかって来いよ!』という気持ちでいるのですが、残念ながら、かかって来ようとする土壌や手がかりすらないのが日本の現状です。学校の講義などでも生徒に『これから物を作るときは、日本の国だけで完結させようと思っていたらダメだ。世界で作るんだぞ』って話しています。中国や韓国、台湾で作るのもいい。ヨーロッパのファッションの生産基地になっている東欧やスペイン、ポルトガル、トルコでもいい。これからファッション大国になるであろうインドやシンガポールなど、色々なところで自分のチャンスを広げてほしいです。それと同時に忠告しているのが『インターネットを見るな』ということ。インターネットでは、雲の上にあるような憧れをクリックひとつですぐ目にできます。いわゆる憧れの喪失です。これは、すごく危険。『あの山まで登るんだ』っていう熱い想いが、一瞬にして見た気、知った気になってしまうのは、一番よくないと思います」

 

—若い世代のデザイナーが作る服は、耀司さんの目にどのように映っていますか?

「いわゆる成功している若手に言えるのは、『うまく食ってるねぇ』ということ。良い子が作る良い服なんてつまらないですよ。僕が欲しいのはそうじゃなくて『おい、ちょっと待てよ、やめてくれよ』って圧倒される服。今の若者にはハングリーさが足りないと思います。ショップに置いてもらいやすい服を作ることは、自分のクリエーションに妥協しているということ。『そんなの知るかー!』って、自分の世界観を追求するために、毎日うどんだけを食べながら頑張ってるヤツもいると思うんです。『服作りをやめたら死ぬしかないんです』みたいな、後には引けない物凄さが欲しいですね。今の若いデザイナーは、どこかに逃げ場を作っているような気がしてしょうがない。ゼロからスタートするんだから、ゼロに戻るの平気だろって言いたいし、『失うものあるの?』って聞きたい。とにかく世界に出ろと。年齢で分類するのがいいかどうか分からないけど、僕は25歳から35歳くらいのデザイナーに可能性があると思っています」

 

—それは、どのような理由で25歳から35歳と分類されるのでしょうか?

「山本耀司や川久保玲、三宅一生を知らずに育ち、知っていたとしても無視できる世代だからです。若手が可能性を伸ばすためには、まず影響力のあるデザイナーを否定すること。そして、流行っているニュートラッドやちょっとコンサバなスタイルを否定することです。僕がこの世界に入ったときも、その頃ビッグと言われていたデザイナーや流行を全否定することから始めました。『サンローランなんかクソ食らえ』とかね(笑)。それで、自分だけの物を作り出していくんです。最初は誰かのコピーでもいい。一生懸命コピーを繰り返していくうちに自分らしいものが生まれてきます。とにかくパクりなさいと。食っていくために上手に商売して、なんとなく売れ筋みたいなことをやっていたら伸びません。大切なのは、創る個性です。ただね、20歳やそこらで個性なんて出せませんよ。物を作るということは、生き様が服に反映されるので、やはり、一生かけて反抗することが表現者の人生だと思います。創るってことは生きるってこと。ド肝なんだってこと。だから人生に醒めていたら作る物も醒めています。口ではカッコいいことを言えますが、作った物は絶対に嘘をつきません。例えば、パタンナーが仮縫いの前日に徹夜したらすぐに分かります。最近いい男ができたなっていうのも分かる。服だけは嘘をつかない。自分のすべてが出てしまうから、服は怖いんです」

 

 

近い将来、モードの風が再び吹くから

—今も第一線で活躍されていますが、クリエーションで難しさを感じる点は何でしょうか?

「40年かけて服の実験をしていますが、『これをやるのは俺が最初だろう』と思って服飾集を開くと、すでにシャネルがやっていたなんてことはよくあります。だから、本当の意味で服装における新しい実験っていうのは、そうはない。必ず誰かが先にやっているので。ただ、“クリエーションの穴場”というものがあって、誰かがやったかもしれないけど、今やることで新鮮に見せるという目のつけどころです。その目を養うには、毎日服を作ることです。コレクションを休んだり、現場から離れると感覚まで薄れます。自分が作ったものが流行の空気の中で、どんな風に見えるのか、どう扱われたのかいつも体験していないと見えなくなります。要するに我々は、よくも悪くも流行の空気を吸って生きているので汚染されているわけです。汚れたものを自分の中で一度そしゃくし、新鮮な物、面白い物に変換して新たに生み出すパワーが必要なのです。僕はいつの間にか洋服の百科事典みたいになっていて『こう来たか。じゃあこうだ』って、将棋みたいに切り返しができるようになった。定石もあるしね」(笑)

 

—ファッションの時代の流れを見てきた耀司さんは、ファストファッションの今後をどのようにお考えですか?

「もう先が見えました。中国は技術が向上し、コスト的にも高くなったので、ベトナム、ミャンマー、インドと流れ、バングラデシュがファストファッションを作れる最後の国です。しかし今、バングラデシュでは賃上げの労働問題が起きているので、これでファストファッションはおしまいでしょう。アフリカでは無理です。マニュアル産業の知識も手先の器用さもありませんから。そういう意味で、再びモードの風が吹くと感じています。モードの競争になるいい時代が来れば、若手にもチャンスが回ってくる。近い将来、新しい何かが見えてくるはずです」

 

—日本人が世界で勝負できる武器とは何でしょうか?

「センスです。日本人は世界で一番センスのいい人種です。江戸時代に完成されたセンスのよさ、“粋”をよく知っているのは日本人ですから。その血をもって生まれているので色々な流行が来ても、粋に解釈することができます。ファッションは地球上で最後のマニュアル産業であり、どうしても指を使います。他の産業は全部ロボットで対応できますが、洋服だけは指先から生まれる産業です。指先が文化であり、血なんですね。ここから生まれるので僕はファッションに面白さを感じています。日本人が生まれもっている有利なポテンシャルは十分にあると思います」

 

—最後に、次世代に伝えたいファッションデザイナーとして心得ておくべきことを教えて下さい。

「人間の体は単なる立体ではなく、動いたり、人を愛したり、悲しんだりする感情をもっています。服は着る人の感情と折り合いをつけねばなりません。だからデザイナーである以上、生きる者としての人間であってほしいと思います。それと、平面の原型を利用した裁断で服を作ることが、日本人にとって有利であると気付くことです。ヨーロッパの服作りは、すべて立体裁断ですが、日本の服飾系の先生が平面の原型を発明したことで、平面裁断が日本から広まりました。平面裁断により、服を作るスピードが3倍から4倍に上がっているのですが、意外と気付いていないデザイナーが多いのが残念なので、そこを知ってほしいです。さらに、布を知ることです。『布が教えてくれる』という言い方をするのですが、布がどんな服になりたいか物を言います。布地には比重があり、もった時にどれだけ垂れ下がるかを見ることで、布がどうなりたいか分かります。女性の体には凹凸があるので、一般的には原型にダーツを入れるよう指導されていますが、僕は『いらない』と言います。比重のある布であれば、すーっと落ちてダーツが消えてしまいます。つまり、平面を活かしながら、人間の体を知れということです。体の作りを知らずして、いい服は作れませんからね」

 

 

Profile

慶応義塾大学法学部を卒業後、文化服装学院へ入学。1972年に株式会社ワイズ(Y’s)を設立し、1977年に東京コレクション、1981年にパリ・プレタポルテコレクションにデビュー。映画「BROTHER」「Dolls」の衣装も手がける。2004年に紫綬褒章受章。2011年、フランスより芸術文化勲章コマンドゥールを叙勲